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外来精神療法としての森田療法

北 西 憲 二 (森田療法研究所・北西クリニック)

教育講演script 2011年


1990年代から時代の要請を受ける形で森田療法は外来精神療法がその実践の中心となった. 森田療法が問わない(不問)から問うこと,そして対話型の精神療法へと変化し,同時に治療プ ロセスや治療者患者関係,介入技法について検討が加えられるようになった. 森田療法の人間理解の原則は,関係から現象を理解し,死の恐怖と生の欲望のダイナミズムからわれわれの経験を把握し,その基盤に東洋的自然論を置くことに特徴がある. 筆者は,森田療法の自然論に基づき,自己を自己意識,身体,内的自然の連続的なものと捉える. そして私たちが苦悩に陥っている状態を,自己意識の肥大と身体,内的自然の卑小さ,あるいはそれらの不調和と考える. 治療技法の原則は,肥大した自己意識(「べき」思考)を一方で削り,他方で生活世界への行 動的関わりを促すことにより,身体,内的自然(感情,欲望)をふくらますことである. 具体的 な介入方法は 2つである. 1つは,「けずること」で,「受容の促進」(自己の経験を価値づけし ないこと,コントロールの断念)への介入である. 他は,「ふくらますこと」で「行動の変容」(生活世界を直接経験すること)への介入である. そして治療者はこの 2つを組み合わせて,介 入を行う. 外来森田療法の治療プロセスは,2つの段階に分けられる. 第一段階は,症状をめぐる介入で, 症状は「流動すること」を体験してもらう. 次は自己をめぐる段階で,そこでは現実の自己をあ りのままに受け入れ,そして生かすことができるように介入を行う. それが治療目標の「あるが まま」である.


􏰃はじめに

森田が入院森田療法を始めたのは 1919年で, 伝統的に森田療法は入院治療を指していた. それ は臥褥期,軽作業期,作業期,社会復帰期からな り,そこでは患者の訴えを取り上げないこと(不 問)と作業を中心とした行為的体験を重視する. しかし 1990年代後半から時代の要請を受ける 形で森田療法は外来精神療法がその実践の中心と なった. 森田療法が問わない(不問)から問うこ と,そして対話型の精神療法へと変化し,同時に 治療プロセスや治療者患者関係,介入技法につい て検討が加えられるようになった. 日 本 森 田 療 法 学 会 で は , 1995 年 に 森 田 神 経 質 の診断基準􏰊􏰆,2009年には外来森田療法のガイド ラ イ ン 􏰊􏰋􏰆を 作 成 し た . こ れ に よ っ て 対 象 の 病 理 をどのように抽出し,それについてどのような介 入を行うか,の大枠が示されたことになる. また 講義とケース・スーパービジョンを組み合わせた 森田療法セミナーが 1998年から始まった. ここでは,入院森田療法と外来森田療法との比較を行い,外来森田療法を展開するために明らかにすべき点にまず触れる. 次いで森田療法の基本的人間理解を示し,それに基づいた自己の構造を明らかにする. そこから「とらわれ」と「あるがまま」とは,どのように理解されるかを述べ、外来森田療法の具体的手順について説明する.

􏰀􏰉 入院森田療法と外来森田療法との比較

入院の治療構造は,遮断的環境での治療の手順 が決まっており,外来は個人精神療法で,その患 者の病理や状況に合わせて治療を進めることがで きる. 入院では,不問(患者の訴えを取り上げな いこと)と行為的体験とが組み合わされるが,外来では対話と治療的介入が主となる. 入院治療は, とらわれが強固で直接的体験を必要とするものが 適応となり,外来ではより幅広い対象への治療が 可能となる. 対象は,神経症性障害,ストレス関 連障害および身体表現性障害,気分障害,中でも 持 続 性 気 分 障 害 ( I C D -10) な ど を 中 心 に , さ ま ざまな領域でのとらわれた人たちである. 外来では患者の病理の見立て,ラポールの形成, 介入とそのプロセスが重視されるが,入院では患 者の健康な部分に一気に働きかけ,展開させると 理解されてきた. 治療期間は入院では数ヶ月で, 外来ではしばしば年余にわたる. しかし退院後の 再燃を防止し,さらに自覚を深めるには,同じよ うに比較􏰔的長い時間の治療者との接触が必要であ ることもわかってきた􏰊􏰑􏰆. 森田自身が退院患者を中心に形外会を作り,そこで経験交流を行ったのは,再発予防と患者の自覚を深めるのに役に立ったものと思われる. 外来では治療後期にそのような作業を行う.

􏰎􏰉

外来森田療法を展開するには,基本的な人間理解,それに基づく精神病理の抽出と介入法を意識化し,それに基づいて治療を行うことが要請される.


3つの原則

森田療法では以下の 3つの原則に基づいて患者 の問題を理解し,治療的介入を行う􏰏􏰆.

i) 自然論

自然対反自然の枠組みから患者 の病理を理解する森田療法では生活世界に関わるときに生じる心 身の体験反応は自然であり,それを「あってはな らないもの」とし,操作しようとする心の態度(反自然なあり方)が問題であると理解する. こ れが森田のいう思想の矛盾である􏰐􏰆. その中心は,「あってはならないもの」と決めつける「べき」 思考で,それが外来森田療法の介入の焦点の ひとつ となる.

ii) 恐怖と欲望の理解

森田は人間の経験の基礎に死の恐怖と生の欲望 を置いた􏰐􏰆. 治療者の行う介入は,2つの軸に沿 って行う􏰑􏰆.症状や自己や現実世界(死の恐怖) をありのままに受け入れること(受容の促進), 他は見失っている生の欲望を治療者と一緒に見つ け出し,行動を通し生活世界に発揮できるように援助する(行動の変容).

iii) すべての問題は関係の中から生じてくる

この視点から悪循環(とらわれ)を抽出する.2)自己の構造(図)筆者は,森田療法に基づき,自己を,自己意識, 身体・内的自然(これらは無意識レベル)の連続 的なものと理解する􏰑􏰆.無意識のレベルでは外的 自然,生活世界と同調し,自己意識はそれと調和 を保ちながら,固有の生き方を行う.私たちが苦悩に陥っている状態を,自己意識の 肥大と身体,内的自然の卑小さ,あるいはそれら の不調和と考える. その肥大した自己意識の中心 は 「 べ き 」 思 考 で あ る 􏰏􏰒􏰑􏰆. そ こ で は 自 己 意 識 は 画一的となり,無意識のレベルでは外界に対して 非同調的となる.この図から外来森田療法の介入 方法を考えていく.


􏰓􏰉 とらわれとあるがまま

1) とらわれの構造 新 福 􏰊􏰏􏰆は と ら わ れ の 心 理 を 「 不 安 に な っ た 自 己が自己自身を観察し,意識し,それを承認でき ないでもだえているような内向的,非行動的なあ りかた」として描き出した. とらわれとは,2つ の要因から構成される. ひとつは不快な心身の状態 に自己の注意が引きつけられ,視野狭窄という様 相を呈している. それと共に,それを承認できな い,それを何とかしたい,という力動が働いてい る. 生活世界の刺激から,あるいは内的葛藤によっ て私たちの固有の心身の不快な反応が現れる. そ のような反応や自己のあり方では今の生活世界に 適応できない􏰍􏰆と考え,それを何とかしようとす る. この心身の不快な反応に注意が引きつけられ, そのためにその反応がより鮮明となり,さらにそ の注意が引きつけられてしまう(精神交互作 用 )􏰐􏰆. そ こ に は 「 あ っ て は な ら な い 」 と 抗 う「べき」思考がこの悪循環に深く関与し,それが 注意と反応の悪循環を強めていく. それしか考え られないような視野狭窄状態となる. それが逆三角形を強めていくのである. 他の方向は,患者が何か行動を起こそうとすると,さまざまな考えが浮かび,行動したら,人と 接したらどうなるのか,それをどうするか,など とぐるぐると考えが回る. そしてネガティブの結 果を予想し,戦慄し,恐怖を覚え,落ちこみ,そ れを受け入れられない. この 2つから「とらわ れ」が形成される.

2) あるがままの二面性と介入方法

森田はあるがままについて,次のように述べる. 「要するに,人生は,苦は苦であり楽は楽であ る .『 柳 は 緑 , 花 は 紅 』 で あ る . そ の 『 あ る が まま』にあり,『自然に服従し,境遇に柔軟である』 のが真の道である」􏰅􏰆「私はこれをひっくるめて,『欲望はこれをあき らめる事はできぬ』と申して置きます. これで, 私はこの事と『死は恐れざるを得ず』との 2つの 公式が,私の自覚から得た動かすべからざる事実 であります」􏰇􏰆それらをまとめると次のようになる.

i) 恐ろしいものは恐ろしい,それはどうしよう もない心の事実であり,そのまま受け入れ, 経験することがあるがままの 1つの側面である. ii) その苦悩になりきったときに,それと連動して生きる欲望が自覚され,生活世界での行動 として発揮されるようになる.この 2つが密 接に関連しながら,私たちの生きるダイナミ ズムを形成する.

iii)それは常に変化し,流動する経験であり,全体的で,創造的な変化である. これがあるがままの経験で,常に 2つの面を含 み,ダイナミックなものである. しかもこれは臨 床的事実であり,患者が治療のターニングポイン トで経験する.

􏰈􏰉 治療技法の基礎――あるがままに至る道

1) 外来森田療法のガイドライン

􏰊􏰋􏰆このガイドラインでは,「感情の自覚と受容を促 す 」「 生 の 欲 望 の 発 見 と 賦 活 」「 悪 循 環 の 明 確 化」「行動指導」「生活の見直し」の 5つのカテゴ リーが基本的構成要素として挙げられている. こ こで重要なことは,「悪循環(とらわれ)の明確 化」とそれに対する介入として,「感情の自覚と 受容を促す」(受容の促進)と「生の欲望の発見 と賦活」(行動の変容)であり,これらをめぐっ て治療は展開する.


2)「べき」思考への介入

とらわれを打破して,あるがままにいたるには, 2つの領域への介入を通して行われる. 森田は「 あ る が ま ま 」 を 次 の よ う に 述 べ る . 「かくあるべしという,なお虚偽たり. あるがままにある,すなわち真実なり」􏰌􏰆あるがままに至るには,かくあるべし(「べき」思考)の修正が必要だと指摘する. つまり森田療法の介入の焦点の ひとつが,肥大した自己意識, 「べき」思考を「削ること」(受容の促進)に向かうのである. 高良は次のように述べる􏰍􏰆.「『あるがまま』の第一の要点は,症状それに伴 う苦悩を素直に認め,...そのまま受け入れること である. 第二の要点は,...本来持っている生の欲 望にのって建設的に行動すること...」高良のいう第二の要点が,あるがままに至る他の介入の領域を示している. それが生の欲望と関連した行動への介入である.

3) 行動への介入 ―― 世界に直接関わることここで「あるがまま」と関連して述べている行 動は,生態心理学のいうアフォーダンス理論と重 なる部分が多い􏰊􏰊􏰆. 直接,判断なしに生活世界に 踏み込み,そこでアフォードされる資源を知覚し, 認知し,それが次の行動を生み出す. その行動が また新たなアフォードされる資源を知覚し,認知 を生んでいく. そこでは行動と環境が一体となり, その時々の行動を生み出していくダイナミックな 関係である. それが森田療法の「あるがまま」に至るもうひとつの方法であり,それを筆者は「ふくらますこ と」と呼び,そのためには「行動の変容」への介 入が必要であるとした􏰑􏰆. そして「べき」思考の 相対化(「削ること」)なしには,このような自在 な行動は困難で,またこの「行動の変容」を通し て「べき」思考の相対化がなされる.

􏰕􏰉 治療プロセス􏰏􏰆

1) 治療者の役割と治療導入

治療者は,生活世界に圧倒され,無力感にさいなまれている患者と世界の間に杭を打つ存在として機能することになる.

治療者は,①世界に圧倒されている患者に回復とそこに至る筋道を示すこと,②治療的関係を結び,維持し,患者の現実の問題に積極的に関わること,③それを生活世界で実際に経験してもらい,それを明確化し,患者が生活世界に直接関わっていけるように援助する.

治療の導入時には,

①「過剰な生き方」(過剰 な自己意識)のしんどさへの共感を示しつつ,

②「悪循環」を明確にし,

③「生きる欲望の空回り」 に触れながら,恐怖にとらわれ,本来の「生の欲 望」が発揮されていないことを明確にし,

④「で きないこと」は受け入れ,「できること」に取り 組むこと,などを伝えていく.


2) 治療初期から中期 ―― 症状をめぐって i ) 削 る こ と ( 肥 大 し た 自 己 意 識 ・「 べ き 」 思考への介入)

治療者は症状,苦悩の「受容の促進」(価値づけしないこと/コントロールの断念)を促す介入 を行う.

① 症状・感情をありのままに経験すること

患者に,症状と戦わないこと(コントロールの 断念),待つこと,そして症状を抱えること(価 値づけしないこと)を伝え,それを生活の場面で 実践してもらう.

② イメージと現実を分けること

この介入は,強迫性障害,慢性抑うつの患者に有効である.自分自身の五感を信じること,自分の決めつけたイメージと現実(直接経験)を分けること,そしてシミュレーション(予期不安)を棚上げして,現実世界に踏み出すことを勧める. ii) ふくらますこと(卑小化した内的自然,自在な行動への介入)

これは「受容の促進」と対となり,「行動の変容」(直接生活世界に入り込む/そこでの経験から 離れないこと)に治療者が介入する.

それは,注意を生活世界に向けること,気 分と行動を分ける(行動が気分を変えることを学 ぶ),生活世界に踏み出すこと(考えることよ り経験すること),④感じから出発する(アフォ ーダンス理論)行動と生の欲望を結びつける, などである.「削ること」と「ふくらますこと」への介入を 連動して行い,患者に生活世界で直接経験をして もらい,それを面接,日記で明確化する.

3) 行き詰まりと乗り越え

以上の介入から,患者は次第に症状のとらわれから抜け,生活世界の活動範囲が拡がってくる. 患者は「目の前の世界が拡がった感じ」などと表現する. それで治療が終了する場合もあるが,ここで少なからずの患者は行き詰まる. そして症状の再燃,あるいは重要な他者との葛藤が表面化する. それがむしろ次の治療の段階を準備する. 治療者は,行き詰まりを率直に認め,治療の初期の原則を患者と一緒に検討し,その深化を促していく. 患者は肥大した自己意識のあり方に気づき,自分自身の生き方をめぐって治療が展開していく.


4) 治療の中期から終了 ―― 自己のあり方をめ ぐって

i ) 受 容 の 促 進 ( 価 値 づ け し な い こ と /コ ン ト ロールの断念)に取り組む

面接は行き詰まりを乗り越え,次第に穏やかな ものになっていく. 治療者は,感情・他者・現実 は操作できないこと,不完全な自己・現実の受容 の 勧 め ,「 べ き 」 思 考 の 相 対 化 ( 完 全 主 義 , 肥 大 した自己愛の修正)などを患者の生活体験にそっ て明確化し,その内在化を促進する.

ii) 行動の変容 (生活世界を直接経験するこ と)に取り組む直接体験として生活世界に入り込む(自在な行 動の勧め),生の欲望と行動を結びつけることな どの介入を行う.

iii) あるがままの二面性を知る(ありのままの自己を受け入れ,欲望と恐怖のダイナミズムを知る)患者が現実の生活に取り組み,自己の欲望と恐怖の二面性を経験できるように介入する. 治療の最終段階である. 生きることは苦悩を引き起こすが,それを引き受けざるを得ない,他方欲望はあきらめられない(固有の生き方の追求)ことの実践を促進する.

5 ) 治 る こ と ― ― 森 田 の 理 解 􏰖􏰆

森田は,治るレベルを次のような 3段階に分け た. 第一段階は,「気分の悪いまま,こらえて働く」 で,不安を持ちながら,目の前のことに取り組む ことができる段階である. 第二段階は「気分の悪い時は,いやなものであ る. また気分のよい時は,朗らかなものである」 という事実をそのままに認める.「事実唯真を知 る」である. これは「べき」思考の相対化と現実 の自己をありのままに受け入れることができる段 階である. 第三段階は「この苦楽の評価の拘泥を超越して, ただ現実における,我々の「生命の躍動」そのも のになりきって行く.『善悪不離・苦楽共存』を 知る」である. これは死の恐怖と生の欲望のダイ ナミズムを実感し,自在な生き方が可能な段階で ある. しかしこれらは固定したものでない. 治療の終了後も,第一段階から第三段階までを行きつ戻りつしながら,その人の生涯を通して続いていく体験である. 特に第三段階は中高年,あるいは死を間近に感じた時に達する心境であろう. 青年期は第一段階で十分であろうし,人生の経験を積むうちに第二段階に達する場合もあろう.




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